私たちの主張の理由


私たちの主張の理由



1.誰がどこで行おうと、眼鏡処方はほとんどの場合、医療ではない

医療というものは
疾病の診断や治療
(場合によっては「予防」も)
を目的とするものです。(判例より)

その目的を持たないものは医療とは言えません。
たとえば、美容外科は疾病の診断や治療ではないので医療とは言えません。
ですから、もちろん医療保険の対象とはなりません。

ただし、医療保険が適用されないものは全て医療ではない、
というわけではありません。

美容外科の診療に医療保険が利かないことの理由については
「それが医療ではないから」と言っているのです。
しかし、美容外科の手術は、医師が行なわなければ危険なので、
医師法第17条を拡大解釈した行政の施策として
医師以外のものが行なうことを禁じているわけです。
普通の屈折異常(近視・遠視・乱視)や老視(老眼)は、疾病ではありません。
それは「世界の眼科学の常識」だと言えるでしょう。
よってそれを矯正する眼鏡の度数を決めるという行為は
医療とは到底言えないものであると言えます。
また、医療用レーザーを使用した脱毛美容は医療ではありません。
ですから、医師でない人間もやっているわけです。
ただし、あの場合は、皮膚への直接の侵襲があるから
うまくやらないと感染症の恐れなどもあり、
衛生知識なども必要ですから、
何も資格のない人間がそれをやるのは問題があると思います。

それはともかく、医療用具を用いてなされる行為が
みな医療になるというわけではないことは、
これによってよくわかります。
同様に、眼鏡レンズは医療用具ですが、
それが医療にも用いられる場合がないとは言えないからから
医療用具とされているのであって、
眼鏡レンズが医療用具だから、
眼鏡におけるその度数を定める行為が
すべて医療だということにならないのです。

眼科での眼鏡処方は医療であり、
同じことを眼鏡店でやれば医療ではないというのは、
まったくスジの通らない話です。
いろんな測定データを元にして、
矯正眼鏡の度数を
眼鏡装用者との共同作業で選定する行為を眼鏡処方と呼ぶならば、
現実に眼科でも眼鏡店でも、同様の「眼鏡処方」を行なっているのですから、
一方が医療で一方が医療ではないというのは、
ためにする詭弁としか言いようがないわけです。

眼の病気を治療する目的を持たない眼鏡の処方は医療ではありません。
ですから、医療機関(眼科)で、
そういう屈折異常や老視を矯正するところの
眼鏡度数を決める眼鏡処方(調節麻痺剤を用いずに処方するもの)
を行なわなければならない理由はないのです。

それなのに、それを眼科で行なうからこそ、
そこから様々な齟齬や矛盾や問題が生してくるわけです。
眼科で日常のルーチン検査のひとつである屈折検査、
すなわち、レンズ交換法で最高視力がどこまで出るのかを調べる検査は
医療の一環としての検査であることは間違いないのですが、
眼鏡の目的や用途に応じた快適な度数を選定する作業は
医療ではないということに、気がついていただきたいのです。
眼科が「眼鏡処方箋の発行をやめること」イコール「医療の放棄」、ではないのです。
眼科のかたは、検眼という一つの言葉でくくってしまわずに、
「矯正視力を求める屈折検査」と
「快適な眼鏡度数を選定する眼鏡処方(度数選定)」とを、
まず分離して考えていただき、
前者は医療の中の検査のひとつであり、
後者は特殊なものでない限り医療ではないという認識を持っていただくことを、
眼科の先生方にお願いいたします。



2.眼鏡処方責任とは

眼科医の責任の元に発行される眼鏡処方箋、という言葉があります。
その責任とはいったいどういう責任でしょうか。

医療行為には「責任」がつきものですが、それは原理的原則的法律的には
「結果責任」ではなく「過程責任」すなわち、加療責任です。

いくら手を尽くして治療を加えても
様態が良くならないことはいくらでもあり、
それはまったく医師の責任ではないわけで、
医師は、医療は基本的には結果責任を持つ必要はないわけです。
(ただし、道義的な責任となると、また別の話で、
それは個々に場合によりいろいろです。
法的原理的には責任はなくとも、
結果に対して道義的に責任を感じる場合も多々有るとは思います。
眼科医が眼鏡処方を医療と見なして行なっているのであれば、
それは結果責任ではなく加療責任となります。
すなわち、過失が立証されない限り、
医師が適当と認識した治療を加えた(眼鏡の処方をした)そのことにより、
それで責任は果たされたと見なすのが加療責任です。


しかし、眼鏡ユーザーは、普通はそういうふうには思っていません。
その処方によって自分の要求が満たされることを持って
眼鏡処方責任が全うされるものだと思っています。

ですから、
処方された眼鏡での見え方に不満があって
眼鏡ユーザー(患者さん)が眼科を訪れて再検査、再処方となった場合に、
そのレンズの入れ替えの費用負担を
眼鏡ユーザーがかぶって当然だという意識を
ユーザーは持っていないのが普通です。

その事実によっても、
眼鏡処方は薬剤の処方とは性格的に違うものであることがわかります。
すなわち、眼鏡処方は、
薬剤の処方にはない「結果責任」を伴うものであると言えましょう。
(ただし、ここで言う「結果責任」は、
道義的なものにとどまらない、原理的及び法的なものを指します)



3.レンズ入れ替えの場合

そして、眼科の方でも、
もし、眼科が処方して作製した眼鏡での見え方に対して
不満の表明があり、調べた結果、
別のレンズに替えた方がよいということになった場合、
処方者が結果責任を感じ、眼鏡ユーザーにレンズ入れ替えのときの
費用負担を負わせるのは忍びないとして、
それを眼科で補償する例も皆無ではないようです。
しかし、それは一般には広く行なわれていません。

なぜなら
眼鏡店が自店で測定調製販売した眼鏡の再処方の場合のレンズ代を
自店の負担で補償できるのは、
その眼鏡の販売によりしかるべき利益を得ているからです。
しかし眼科では
眼科自身が眼鏡を販売して利益を得ているわけではないので、
レンズ代の補償などはなかなかできるものではありません。
高いものならレンズだけで10万円近くつきます。

そうかと言って薬の処方のように、
あの薬が効かなかったのなら今度はこの薬という感じで、
単にまた処方をするだけで、
処方者の気持ちとしても別段平気だ、
ということはないはずです。
安くないレンズを、たった数日間使っただけで、
もうそれが使えなくなってしまうというのであれば、
眼鏡ユーザーに二回目の処方のメガネは
無料で与えたいと思うのが
普通の倫理観や経済観念を持った処方者の心理でしょう。

そこで眼科では、それを解決するために、
指定の眼鏡店を作って、
極力その店で自院が処方した眼鏡を購入してもらうように、
眼鏡ユーザーに薦めるところがあります。
その店で作れば製作技術も良いし、
再処方のときのレンズ代金は指定店が負担してくれるから
あなたは助かりますよ、
というわけです。
その方法には、その目的に応じた利点もたしかにあるのですが、
一方、次のような問題点もあります。


・ユーザーは、指定店以外に自分のいきつけの店がある場合に、
 指定店へは行きたくないと思う。
 でも、医師が言うことはそのとおりにしないといけないのかなと悩む。

・指定店の品揃えが自分の好みに合わない場合がある。

・指定店の場所が自分には行きにくい不便なところにある。


・医療法人という公益法人が、
 特定の私企業を強く推すには相応の理由が必要だが、
 実は再処方のときに自身の損にならないように指定するというのでは、
 大義名分が立たない。
 その眼科の近隣で眼鏡の加工やフィッティングの技術の
 良さそうなところがその指定店だけしかないのなら、
 指定することに意義があろうし、大義名分も立つだろうが、
 現実にそういうケースは少ない。

・ユーザーから紹介を依頼されないのに
 眼科の方から特定の店を紹介推薦したのであれば、
 何かヘンなウラがあるのではないかと勘ぐるユーザーも出てくる。




4.眼科は疾患の診療が本来の業務

眼科では日常的に頻繁に屈折検査を行ないますが、
それは右と左のそれぞれの眼で
矯正視力が健常に出るかどうかということを見るためのものであって、
眼鏡処方を目的としたものではありません。

ですからその内容は
快適な眼鏡を処方するための検査とは違ったものとなっています。
両眼調節バランステストや、斜位検査なども、
ほとんどの眼科では行ないません。

その理由は、
眼科での屈折検査の目的からすれば、
そういう検査の必要がないからです。
眼科は疾患の診療が本来の業務であって、
普通の屈折異常や老視に対する眼鏡処方
(以下、特にことわらない限り、
調節マヒ剤を用いないで眼鏡店で行なっても
特に問題がない眼鏡処方のことを、
単に「眼鏡処方」と記述する)
は得意部門ではありません。
(ごく一部に例外はあるかもしれません)
ですから、眼鏡店で、
眼科処方箋の度数に従って眼鏡を作ったところ、
見え方に関して苦情がきて、
眼鏡店で測定して、
より良さそうな度数のレンズに替えて
ユーザーが満足をしたという例は多いものです。

眼科が、
眼鏡店でもできる眼鏡処方をせずにすませて、
その眼鏡ユーザー(患者さん)を手ぶらで放すのが
心配ならば、全矯正度数を書いたものを持たせてやる、
ということにすればよいわけです。



5.調製上の技術的な問題点

私たちは、
眼鏡を調製販売する者が、
その度数選定もした方がよいという考えを持っています。
眼鏡レンズの度数が強度になると、
実際の眼鏡において
角膜頂点間距離(以下、VDと略す)が変わると矯正効果も変わります。

たとえば、
−8DであればVD12ミリで処方されたものが
VD16mmで装用されると、
−7.75D程度の矯正効果しか得られなくなってしまいます。

鼻根が太い人に
鼻幅の狭いプラスチック枠という組み合わせの場合、
VDがどうしても長めになってしまいます。
VD変化のよる矯正効果が、
いま上げた例のように丁度0.25D刻みの値になるのなら
レンズ度数を修正して対処するということもできますが、
それが中途半端なものになれば、
処方値をどう変えるかという微妙な問題が出てきます。
そういう場合、熟練の眼鏡技術者なら、
先に枠を決めて、そのVDを見て、
そのVDに近い状態で処方のための度数選定を行ないます。

また、たとえば、
遠近両用の場合に、
累進にするのか、二重焦点にするのかということにより、
遠用度数や加入度数の選定のしかたが変わって来ることもしばしばあります。
また、眼科では累進ンレンズのテストレンズを用意しておられる所は少ないですが、
それでは累進レンズによる遠近や
中近レンズの処方が的確に行なえるとは
限らないのです。
仮に、
何らかのそういうレンズを備えておられて、
そのレンズで決めたと処方箋に書かれても、
眼鏡店がそれを取り扱っているとは限りません。
他に技術的なことで言えば、
眼科の発行される眼鏡処方箋において
遠用PDと近用PDの差がどうなっているかということは、
実にまちまちで、
それを加工調製のときに遵守することの意義が
いまひとつ分らないのです。

例えば、
遠用PDでも、
実際のPDよりもやや広めまたは狭めに狙って、
その眼の斜位矯正とは逆の方向に
プリズム誤差がかからないように配慮するということを、
熟練の眼鏡技術者は行なうことがありますが、
眼科処方箋でPDが指定されているとそういう措置を講ずることができません。

また、プラスの近用眼鏡では、
近用PDよりもずっと狭く光学中心を設定して調製しても、
デメリットはほとんどなく、
基底内方プリズムの負荷により輻輳が助かって、
ものが楽に大きく見えるというメリットのみがあるのですが、
眼科の処方箋があると、そういうお客さんにとって「良きこと」を実施できません。
眼科に無断でそういうことをすると、眼鏡を検査されて「不良品」の烙印
を押されかねませんし、
そうかと言って、
前もってそういうことを説明しても、
ただちに明解に理解していただける眼科は多くないので、
そんなことを具申する気にもなれません。

また、正視に近い弱度のものでは
PDが相当(たとえば、数mmくらい)広め
または狭めに入っても別に差支えはないし、
測るたんびに違った値が出てくるということもあります。

そんな場合に眼科の検査で、
事情を理解できない検査員の人がそれを検査して、
それを咎められては困ります。
たとえば、一級建築士であれば、
自分が設計してできあがった建物の評価をきちんとできるはずです。
評価力のない人が建築士になって
設計をするということは無いはずなのです。

端的にいえば、
眼科での「処方箋で出来あがったメガネの検査」は、
度数についてはまず間違いはないし、
累進レンズだと良いのか悪いのかわからないので、
単焦点の場合のPDに、もっぱら検査対象が向いがちなのですが、
その場合に、マトはずれな評価をされると、
眼鏡技術者は困るのです。
眼科が眼鏡処方をしなければ、
そういう理不尽なこともなくなるわけです。



6.眼科の眼鏡処方能力の問題

眼科の眼鏡処方能力は低い……
これは、眼鏡業界と眼科業界の双方の実体を知るものにとっては、
常識と言って良い。
根拠を示せと言われれば、いろいろな体験談を示すことができますが、
いまさらその必要はないと思うので省略します。

ただし、眼鏡店の処方能力はおしなべて高い……
と言っているわけではありません。
眼鏡店にはそれに関してはAクラスからEクラスまであります。
眼科はCクラス程度のところが多いです。
Bクラス以上の眼科があったとすれば、
そのほとんどは眼鏡店から検査員が出向しているところでしょう。

ではなぜ眼科の眼鏡処方能力は一向に向上しないのでしょうか。
その理由を列挙して説明します。

1.屈折検査や眼鏡処方に対する軽視感
  眼の病気に関する関心は深いけれども、
  屈折異常に対して、特に眼鏡矯正に関しては
  一般の眼科医は関心を持ちません。
  眼鏡処方に関しては、検査員や出入りの眼鏡屋に任せて
  自分は実質的には眼鏡処方箋の名目上の発行人にすぎない
  というケースが多いものです。
  また、医療保険の点数に関しては、屈折検査で点数を取ると、
  眼鏡処方では点数が取れないといったことも、
  眼鏡処方に本腰を入れる気になれない理由の一つかもしれません。
  そして眼鏡処方が上手になっても、
  それが評判になって患者さんが増えるといった期待は
  しにくいのが実状です。

2.眼科での屈折検査の目的
  眼科では「1.0の矯正視力は出るのか」という目的で屈折検査をするので、
  屈折度数を緻密に測ろうという発想はほとんどありません。
  普段のその癖が眼鏡処方の場合にも残りがちで、
  処方度数も、粗いものになりがちです。

3.矯正視力の出にくい眼も多い 
  眼科では眼疾患のでいで視力が出にくい眼も多く、
  勢い屈折検査も大ざっぱになりがちです。

4.眼鏡処方の数が少ない
  眼科では屈折検査は頻繁に行われますが、
  その割には眼鏡処方は多いとは言えません。
  そのときだけ気持ちを切り替えて
  緻密なことをできる人は少ないものです。

5.処方の結果に対する苦情が少ない
  眼科で処方され、その通りに調製されたメガネで具合が悪くとも
  医療機関(眼科へ苦情をいいには行きにくいもので、
  そのせいで眼科の処方者は
  「苦情に学ぶ技術の向上」をなす機会が少なくなります。

6.眼鏡処方に関する教育や訓練を受ける機会が少ない
  眼科で眼鏡処方を行なっている人は、
  眼鏡店勤務の経験がある人か、
  あるいは、眼鏡店からの出向者でなければ、
  光学や屈折検査や眼鏡処方に関する原理的及び
  実際的な教育を受けていないケースがほとんどです。
  眼科関係者にそういう教育を
  体系的に施す機関も制度もありません。




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