[メールにて質問] 近視は病気か? NEW 岡本隆博 神戸市長田区の新長田眼科のHP(ホームページ)http://ganka.jp (2003.12.10現在)は、単なる眼科の紹介ではなくて、医師個人 のいろんな(異論な?)意見が書いてあり、なかなか面白いのだが、 その中に下記のような主張があった。 (《 》内は、HPからの原文のままの引用である) ● 《近視は病気です 近視や遠視などの屈折異常は病気ではない(曰く「近視や遠視で視力が悪いのは背 が高いか低いかというのと同じく、単なる個体差であって病気ではない」)などと公 言される方がおられます。この様な馬鹿げた論理が通用するのであれば、血圧が高い のも低いのも個体差であり、高血圧症も低血圧症も病気ではないということになり、 又、高血糖も低血糖も病気ではないということになってしまいます。 部外者の方が言われるのであれば、まだ解りますが、眼科専門医の方が言われるの に至っては看過できません。もし屈折異常が病気ではないのであれば、屈折異常の検 査をしても保険請求できないということになり、又、眼鏡店での検眼行為もお構いな し、視力回復センター等がどのようなことをしてもお構いなしということになってし まいます。屈折異常は、どの眼科教科書にも掲載されていますし、厚生省も屈折検査 は医行為であると認めており、屈折異常は病気です。 眼科医として、「近視は病気ではない」等という、誤った軽はずみな発言をしない ように気をつけましょう。 もし、どうしても病気ではないとお考えの方がおられ ましたら、その理由を論理的にご説明下さい。たとえば、一匹の虫を持ってきて、こ の虫は昆虫ではないと論理的に説明するためには、先ず第一に昆虫の定義を明確にす る(昆虫とは体が頭・胸・腹の三節に分かれており、頭部には一対の触角と複眼およ び口器を有し、胸部には三対の脚と通常一対または二対の羽を有する)。次いで、そ の虫が、この昆虫の定義に当てはまらない理由を明確に示す必要があります。近視が 病気ではないと言われるのであれば、同様にあなたが考えられる病気の定義を明確に 示し、次いで、近視がその定義に当てはまらない理由をご説明下さい。》 ● このHPの眼科は、神戸大学卒の山中弘光医師をはじめ5人の常勤医師を擁し、看 護師やORTなどのスタッフは40名近くおり、19床のベッドを備える大きな眼科である。 上記の文章がどなたの筆になるものなのかは分からないので、私はこのHPの主催 者に下記のようなメールを送った。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 新長田眼科様 岡本隆博 初めてメールをさしあげます。私はメガネ屋です。貴眼科のホームページにて、 近視は病気だというお説を拝読いたしました。 それで、近視が病気であるのかないのかということは、「病気」をどう定義するの かということによって変わってくると思います。(近視、の定義は、改めてなす必要はないでしょう) 先生は、「病気」に関してはどういう定義を採用しておられますのでしょうか。あるいは、 ご自身でどう定義されておられるのでしょうか。 それから、上記下線部の記述を元にして下記のことをお尋ねします。 老視の検査も保険請求できますね。眼科の教科書に老視のことが載っております。 すると、老視も病気なのでしょうか? このメールから以後の私と先生の通信は、私が編集いたしております日本眼鏡技術 研究会雑誌に掲載いたしたく存じますので、それをご了承の上、お返事をいただけま したら幸いでございます。なお、オフレコのお返事はいただいてもいたしかたござい ませんので、すべて公信、お互いにどこへ転載してもよいということで、お願いいたします。 お返事を楽しみにお待ちいたしております。(2002.12.10) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− このメールには私の「署名」を付けたが、そこには「ユーザー本位の眼鏡処方を推 進する会」その他のサイトのURLも書いてある。おそらくそれらのサイトを医師は ご覧になったであろう。 それで、これを出した翌々日になってもまったく反応がないので、私は追加の質問を送った。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 新長田眼科さま 貴眼科のホームページを拝読いたしましての、追加の質問をさせていただきます。 1.HPの概要の所に、常勤の場合は「看護師」、非常勤の場合は「看護婦」とし てありますが、これはどういう理由によるものでしょうか。 2.歯医者目医者と言うが眼科(医)を目医者とは呼んでほしくない、ということ ですが、それでは歯医者さんに失礼ではないでしょうか。 3.「眼鏡店の検眼行為もお構いなし」というのはよろしくないとおっしゃりたい ようですが、眼鏡店が眼鏡処方をする現在の状態がよくないとのご意見でしょうか。 その理由は何でしょうか。 4.医師の責任は結果責任ではなく行為責任ですが、ほとんどの眼鏡処方に関して はそれでは困ります。結果責任を問われる眼鏡処方は医療機関が行なうのにふさわし いものではないと私は思いますが、いかがでしょうか。 5.自らの意思でCLを購入したい人に対して眼科が行なう検診は、もともとの動 機が「メガネだと外見的に不利だ(異性にもてたい)」とか、スポーツにはメガネは 便利が悪いとかいうものがほとんどです。そういう動機でCLを求める人に対する検 査に医療保険を適用するのはおかしい、自費診療とすべしと思われませんか。 6.「医療機関内における無資格者の検査行為は今後大きな問題となる可能性」と 書いておられますが、全国の眼科で実際に多くの無資格者が医行為を行なっているのですか。 たとえば、眼科での検査でもそれが「医師でない者が行なったら危険」なものでな ければ、医師法の(判例による)解釈から言えば医行為ではないはずです。ですか ら、普通の屈折検査やノンコンタクトの眼圧検査、視野検査その他の危険性がほとん どない検査は、医行為とは言えず誰がどこで行なっても医師法違反にはならないと思 いますが、いかがでしょうか。 7.すべての屈折異常は病気である、と書いてある英語文献がありましたらご紹介 賜りますれば幸いでございます。 (2003.12.12) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− これについても返事はなかった。 なお、「近視は病気か」という疑問に関することについては、岡本隆博・野矢正 『眼科処方箋・百年の呪縛を解く』(日本眼鏡教育研究所)に解説してあるので、 それを参照していただければ幸いである。 |
[こんな本] あたらしい眼科 NEW 打 敏智 屈折矯正を見直そう! 眼科医が読む業界誌のような学会誌のような本のひとつが『あたらしい眼科』である。 発行所は(株)メディカル葵出版で眼科関係の本をいろいろ出している出版社である。 その2002年2月号に「特集・眼鏡処方の新しい考え方」が載っているとネットで知ったので、 取り寄せて読んでみた。 私は書評を書くためにこの本を買ったが、その目的がなくて、仕事に生かすつもりであれば、 手にとって内容をぱらぱらと見て買うのをやめたと思う。(税共で¥2,415) とにかくその44ページ分の特集の概要を紹介してみる。(《 》内は原文のままの引用である) ● まずは不二門尚「序説:眼鏡処方の新しい考え方」という前置きがあり、そこに「眼科医はもっと眼鏡処方に 関心を持たねばならない」「小児の近視進行を防ぐことが大事」「屈折の加齢変化を知ることが大事」としてある。 (これが「新しい考え方」らしい。(-_-;)) 7つの論考の最初は長谷部聡「近視化の機構と小児の眼鏡矯正」。 近業のときの調節ラグが網膜にややぼけた像を与えるので、それが眼軸の延長を促して近視が進行するという 趣旨の推論が過去の論文などから述べられ、筆者自身による検査例を示した。 それによると斜位などにより、眼球の焦点深度を超える1〜1.50Dの調節ラグを持つ場合があったが、 《これらの症例の人の多くは調節視標のぼけを自覚していなかった》ということである。 だが結局は筆者自身も言うように、この論考で述べた「調節ラグの大きさが近視を進行させる」というのは 仮説にすぎず、調節ラグを検査すれば近視の進行を予想できる「かもしれない」と言うにとどまっており、 《正しい手続きを踏んだ臨床比較試験》の実際を筆者は期待している。 その次は、梶田雅義「眼精疲労に対する眼鏡処方」。 なかなか魅力的なタイトルであるが、 @未矯正の遠視の眼鏡矯正の例、 A近視過矯正がもたらした眼精疲労の例、 Bプリズム矯正で複視を解消した例、 CVDT作業に近用累進レンズで眼精疲労を解消した例、 がデータに解説を付けて挙げられている。 @は48歳の眼鏡未経験の遠視の男性の例。 自覚の両眼視屈折検査で得た遠視の度数はR=+1.50D L=+1.75Dだったので、 その度数で単焦点で装用テストをしたら視野の揺れが気になってダメで、 そこから左右ともに0.50D弱くした遠用度数で0.75の加入の累進レンズを与えたらOKで、 それを常用すると、2週間程度で眼鏡になじんで1年間以上続いた頭痛が消失したという。 (検査距離5mと遠方の関係についてはまったく言及はない) Aは、頭痛と眼の奥の痛みを訴える52歳の男性。 1年前に眼鏡店で作ったメガネが近視も乱視も過矯正で、 両眼視屈折検査で得た値を遠用度数とし、左右共に1.25Dの加入を持たせた遠近累進を処方し、 それを使用することにより9ヶ月間の悩みが消えた。 上記の2例においては、いずれも両眼調節バランステスト(筆者は《両眼同時雲霧法》と呼んでいる)が 効果的に行なわれている。 Bは、両眼に白内障手術を受けて複視に悩む73歳の女性に《6△の上下斜視》を認めたので、 それをそのまま矯正したところ複視が消失したという例であるが、累進レンズでの矯正例であり、 片方3△までしか無理だとしてある。しかし、エシロールのバリラックスなど一部のものでは、 それより強いプリズ ムも可能となるのである。 Cは、1日に5時間くらいパソコンをやる女性。現在は左右ともに遠用+0.75Dで加入1.00の遠近累進を 使用している。それをニコンソルテスで左右ともに+2.25Dでマイナス加入1.00Dのものに換えて パソコン作業をしたら満足してもらえたという例である。 以上の例はどれも我々のレベルでは特に「へえ」と感じるものではない。 しかし、これを特別の成功例のように紹介してあるのが、眼科雑誌の眼鏡処方特集の中の 一つの論考であるということが、私には何か象徴的なことである感じがする。 事前の説明が重要? 当然です その次は黒田輝仁・不二門尚「加齢による収差の増加と眼鏡処方」。 波面センサーで検査してみると加齢により乱視が増えていくということがわかったということで、 眼鏡処方への具体的な方法については何も言及はない。 それから、切通影「老視期の屈折矯正手術と眼鏡処方」。老視のある人間で近視矯正手術を希望する人は、 遠方も近方も裸眼で鮮明に見えると思っている人が多いので事前の説明が大事です、という話。 ということは、その説明が足りなくてもめた例もあるのだろう。 その次は藤田豊己・出澤正徳「老視用自動焦点調節補助眼鏡の可能性」。 注視運動を眼球運動から検出して視距離を察知し、弾力性のある可変焦点の焦点距離を自動的に変える メガネを試作し、将来の実現可能性を示唆してあるが、残念ながら、いつ頃までには実用的で商品として 成立するものができるだろうという予測は書いてない。 また、眼の急速な焦点移動にはついていきにくいということも書いてある。 その次が高橋文男「軽い眼鏡の動向」。 枠の材料による軽量化、レンズの材質や大きさや非球面低カーブ化による軽量化などについて解説してある。 所先生ご登場 殿(しんがり)というかトリというか、最後のシメが所敬「眼科医療における眼鏡処方の位置」。 いわば大御所によるまとめである。 《眼鏡は医療用具であり、医師法では眼鏡は眼科医の処方によって作られなければならないとなっている》なんて、 もろなウソ記述がある。 そんなことが医師法に書いてあるわけがない。医師法17条に「医師でないものは 医業を行なってはならない」としてあるだけである。 そして眼鏡処方箋の発行そのものに保険点数がつかないことを所先生は嘆いておられる。 また《違法であるが、眼鏡店が検眼をして眼鏡を作っている現状もある》と、これまたウソが書いてある。 慣習法の考え方からしても、「医業とは何か」ということからしても、眼鏡店の眼鏡処方が違法なわけがないので ある。(くわしくは、岡本隆博・野矢正『眼科処方箋百年の呪縛を解く』(日本眼鏡教育研究所)をご参照されたし) 眼科医は近年とみに増加して(いま12,000人程度おり、20年前の3倍)人員的に過剰気味で、 3000人いるORTと眼科医の今後の仕事として屈折矯正に活路を見いだそうという意向もありそうなのである。 そして、調節まひ剤を用いてなす眼鏡処方について少し述べ 《これらの眼鏡処方は医療として考えなければならない》 としてあり、他に弱視レンズ、遮光用レンズ、プリズム眼鏡も「医療としての治療用レンズ」としてある。 ということは、眼科においてそれ以外の眼鏡を処方することは医療でも治療でもないのだと、 所先生はおっしゃっているのに相違ない。医療でなければ眼科で手を出さなければよいのである。 分かりやすく言いかえると、 眼科では短時日のうちの再処方のときのレンズ代の負担を眼鏡店にかぶせなくてすむような処方は 眼科自身が行ない、そうでないものは眼鏡技術者に基礎データを示すのみにとどめればよいのである。 そうすれば眼科と眼鏡店でもめる要素はなくなる。 それは眼科が眼鏡店を指定する場合もしない場合も、眼科に眼鏡店から出向している人間がいる場合で もいない場合でも同じことである。なお、私はそういう慣習を全面的に排斥するものではない。 やむを得ず必要に応じてそうしている眼科もあるからである。 なお、上記下線部のような処方は、もっと端的に言えば、たとえ短時日のうちに再処方があっても患者は それが治療用のものであると納得して、レンズ代金を自分の負担とすることに不満を抱かないような、 そういう処方である。さらに具体的に言えば、患者が見え方に不平を言うことがない幼小児のメガネ、 調節まひ剤を使用しての眼鏡処方、あるいは何らかの治療的効果を狙ったメガネ、この処方は高度な 知識と技術を要するから自院の近隣の眼鏡店では到底無理だと思える処方、そういうのは、再処方があれば 患者は説明を聞けばレンズ代を自費で負担することを納得すると思う。 そういうものは眼科でやってもらったらよいのである。 逆に、処方してそれを元に調製されたメガネに見え方でクレームが来て、そのメガネを検査してもどこが悪いのか わからなくてあいまいな返答しかできない(累進などの場合によくある)とか、再処方した場合に、処方ミスとは 言えないまでも、レンズ代をなぜまた患者が負担しなければならないかの説明がしにくく、患者に嫌われたくない ので眼鏡店に電話して無料での入れ替えを依頼したくなるような処方、そういうのは眼科ではしないのが良い。 しかし、その逆の話も聞く。本会会員のAさんは指定を受けている眼科から膜プリズム矯正の処方の患者さんを 自店へ振られるという。医師が、その再処方再調製の費用を患者さんに負担するように説得するのがいやだから、 すなわち、医師が憎まれ役になりたくないから、眼鏡店にかぶせてくるわけである。これも考えようによれば、 眼科でその処方をして再検査再調製をした場合のレンズ代を眼鏡店にかぶせるよりはマシだとも言えるかも しれないが、実はずるいやりかただとも言える。 それならいっそ、普通のメガネの処方もすべてAさんの店に任せればよいのに、それもしない。 眼科一般における眼鏡処方への取り組みは、惰性と軽視と事なかれ主義にしか私には見えず、ヘタな処方や、 できたメガネへの的はずれな評価が、どれだけ多くの患者さんと眼鏡店に迷惑をかけているのかということへの 想像力の欠如も往々にして見られるのである。 |
[対談] 自院処方の眼鏡をそうと知らずに貶した眼科医 NEW 以下は、本会の新入会員、柳生氏と、本会顧問の岡本氏との対話です。 マトモなメガネができないのか! 柳生 私がいままでに感じた眼科さんのもっとも理不尽な仕打ちとして、20年以上前になりますでしょうか、 青梅市近辺のA眼科さんの例を申し上げます。 ある日「お前のところはまともなメガネができないのか!」と言ってお客様が怒鳴り込んできました。 そのお客様が言うには、眼科へ行ったら先生が 「こんなメガネどこで作ったの?こんなの掛けていたら目を悪くするよ」 といわれたそうです。「処方箋を書いてあげるからそれを持っていって作り直してもらいなさい」 安くもないメガネを購入したお客様が、先生にそう云われて怒り心頭に達するのもわかります。 しかし調べてみたら、そのメガネを買っていただいたのは1年前、それもその眼科さんの処方で 作成したものだったのです。再度レンズを調べましたがキチンと処方どおりに仕上がっています。 さすがに当方も腹が立ち、お客様の目の前で眼科さんへ電話をしました。 「こんなメガネをしていたら目を悪くすると、今お客様からお叱りを受けているのですが、 そのメガネは以前に先生の処方でお作りしたものです。今回新しい処方が出ておりますがどうしたものでしょうか?」 たっぷり皮肉を込めて云ったつもりですが、それに対する医師の言葉は「あ、そう。じゃあ今回はそれで作ってください」と 至って簡単なもので、一言の謝辞もありませんでした。 私は懸命に怒りを抑えて話したのですが、そのやり取りを傍で見ていたお客様もその怒りの矛先が消えて 困ったような顔をしていたのを思い出します。 次に、15年ほど前、横浜近辺のB眼科です。 お客様は中学2年生の女子、お母様と一緒にご来店。メガネの使用は初めて、生活保護世帯で医療扶助での作成でした。 処方値はミックスだったか、単性だったか、右がC-1.75で 左がC-2.50 くらい、S面はあってもS+0.25くらいだったか……。 (記憶が悪くてごめんなさい) とにかく Ax180度でしたので、レンズメーターで見ても光学中心の位置が定めにくく、 PDがはっきり出ないような度でした。 話してみると神経質なお子さんで、はじめからこんなに強くては慣れそうもないと 私は思いました。 しかし、眼科の処方箋は「絶対」ですので、処方どおりに作成し、お渡しして3日目くらいに再来店。 案の定「目が痛くて掛けていられない」とのこと。 とりあえず眼科さんで相談してもらうように言いました。 もしものことも考え、「若し眼科さんで処方箋を書き直した場合、こちらも考えさせてもらいますので、 その処方箋を持ってきてください」そう云ってお客様が泣き寝入りをせぬように配慮しました。 次の日、眼科へ行ったお客様から思いもよらぬ言葉が出ました。 「このメガネは中心が合っていないと云われた」とのこと。私は一瞬言葉が出ませんでした。 こちらの信用がかかっているのでご理解されないまでも、必死にわかり易くご説明しました。 幸いなことにお客様は相手の眼科さんの対応にかなりの不満をもっておられましたので、 判らないなりに私の言葉のほうを信じてくれました。それで作り直したのですが、一度きつい度を目が経験しているので そんなに乱視も落さず、両眼視で 0.7が明視の状態にしてお渡ししたと記憶しています。(たしかC-2.5 をC-1.75かC-2.00に したように思います)差額は交換しても赤字になっていませんのでいただきませんでした。 またその眼科へ行くという人なら? 岡本 処方箋ご持参のお客さんで、もうその眼科へは行かないというのであれば気安く自店で 検査や処方ができますが、まだその眼科へ通うという場合は、それはしにくいでしょう。 それで、お客さんが「なんだか看護婦がいい加減に測ったので ここでもう一度測ってほしい」と言われたときに困るわけです。 そう言われると、処方の度がヘタな度のように思えてきますが、もう一度眼科へもどすのも気の毒。 結局は処方の度数で作って、眼科で一応見せてみて使ってみて具合がよくなければ自店で入れ 直しをしましょう、というようなことになりがちです。 その場合、入れ直しを有料にするか、無料にするか……。有料にしにくいけれど、 累進なんかだとコストもかかるし、儲からない話になってしまいます。 こういう場合柳生さんはどのように対処しておられますか。 柳生 あの場合の眼科処方は測定そのものは間違えてはいなかったように思います。 ただ眼科さんは数値のみ見てお客様を見ていなかったということでしょうか。 そのあと定期的にケアを受けに来てくれたのと、別のお客様をご紹介していただけたことを考えると、 私の処置は「客様のため」には正しかったと思っています。 で、お尋ねの場合の対処の方法ですが、お客様が不満をのべて当方での検査を望まれるときは、 私は眼科さんとメガネ屋との違いから説明しています。 よくお客様に云う説明は、簡単にいうと、こうです。 「お医者様は眼に合うことを優先し、メガネ屋の作るメガネは客様にとっての満足度を優先します」 眼科さんの批判をするわけにはいきませんので私が考えた苦肉の策です(笑)。 そのうえでお客様が「どちらがいいの?」と聞いてきた場合は「やはり眼に合うことを優先したほうがいいでしょう」 と逃げをうちます。 もしお客様が「満足度」のほうを求めた場合は、お医者様の処方と異なる可能性があることを再度説明し、 ご承諾していただいた上で測定します。 しかしこの場合、お客様の心変わりが心配です。眼科さんへ不満を持ち込まれたら困るので、 少しのご不満でも店に来ていただくよう説明し、また定期的に連絡をいれる必要が生じます。 そちらのほうが疲れるので、よほど気心が知れたお客様以外は眼科へ行くよう説得します。 そのときの言い回しとしては「眼科さんのほうがお客様の眼のことを内部から知り尽くしているのですから、 基本的には眼科さんで見てもらったほうが間違いないと思います」と言います。 このように云うと大体のお客様は眼科へ行かれますね。 やはり私は、眼科さんに睨まれたくないという気持ちのほうがさきにたってしまいます(恥)。 それで、レンズの入れ替えの費用については、赤が出なければ良しと考えています。 確かに累進はキツイですが仕方がありません。 顔で笑って心で泣いて、とくに初来店でこのようなことが生じたお客様の場合はリピーターになっていただけるよう、 さらには他をご紹介いただけるようお客様の緊張を解くことを優先しています。 次にご来店いただくときは殆どの方は眼科さんへいかずに直接来られる場合のほうが圧倒的に多いですからね。 そのときにタップリ儲けをいただければ良しとしています。 私がオーナーではないからこそできることなのかもしれません。現金商売なだけに、オーナーは辛そうですけど……。 事実でもって相手に示す 岡本 柳生さんは、なかなか話し方がお上手ですね。 眼科を直接批判はせずに、眼科へまた行ったお客山さんが 体験する事実でもってお客さんにわかってもらうというふうになさるわけですね。 私の場合は根が正直なものですから、実際のとおりに言います。実際以上に良くも言わないし悪くも言いません。 で、柳生さんも、眼科は、これはメガネ屋でもできる眼鏡処方だと思えば完全矯正値を参考にして渡すのはいいけれど 処方度数は眼鏡屋にまかしてくれたら、よほど我々はやりやすいのに、と思われますか。(質問1) 補聴器では、耳鼻科からは聴力データがまわってきてそれを元に補聴器店で機種の選定や調整などをするそうです。 (中にはそうでない例もあるのかもしれませんが) メガネも、たとえば、眼科からは「屈折(5m全矯正度数と視力)」「調節力」「眼位」「輻輳力」などを表わすデータをもらい、 (ただし、眼科の方で必要と思わなければ「屈折」だけでもよい)それを元に眼鏡店で、検査をし顧客との話し合いにより レンズの種類や度数の選定をする、というふうにすれば、眼科も気が楽だし、メガネ屋もやりやすい、顧客も助かる、 となるはずですが、これが実現しないのは、「眼鏡処方は医療なり」という眼科の固定観念のせいでしょう。 眼科の方で「この人の眼鏡処方は、医療かそうでないか」を判断して、医療でないと思えば、 眼科では処方しないようにすればよいのです。 屈折検査をした場合に、さらに眼鏡処方をしても保険点数は増えないのですが、眼科のかたにはその意味も考えて いただきたいです。 眼科での屈折検査は、すべて医療の一環でしょうが、それと眼鏡処方を概念的に分けていただくことが重要なのです。 ですから屈折検査と眼鏡処方をいっしょくたにして「検眼」と呼ぶのは、眼科では好まししくないと私は考えます。 なお、眼科が眼鏡処方を続ける理由は「固定観念」の他に、次のようなこともあるかもしれません。 (1)指定眼鏡店へ客を回すことにより、バックマージンが入る。 (2)バックマージンはないが、メガネ屋から検眼の手伝いにきてもらっており その報酬の代わりにときどき患者がそこに店へメガネを作りに行く。 私はそれを必ずしも排斥するものではありません。 個々に事情はあるのでしょう。で、私の言うように今の眼鏡処方箋の内容を変えたとしても、 依然としてこの二つは成立するのです。 若干変わるのは、眼科から紹介を受ける方は、 ただ、自店での処方の手間が増えるだけです。 眼科へ出向いて検眼しているメガネ屋はむしろ歓迎でしょう。 自分の苦心の処方を他店にみすみす利用されることはない、 難しい処方で他店で作ってクレームが来た場合に気が楽、というよりも、眼科へクレームは来ないでしょう。 そして指定があっても別のメガネ屋へ言った場合、 あるいは指定はなくてどこかのメガネ屋へ言った場合、 そこがウデに自信のある店なら好ましいことになります。逆に自信のない店なら迷惑なことです。 私の提唱する方法は、現在ダメメガネ店を助けている一面がある眼科の眼鏡処方を、 それとは逆にする効果を持つわけです。 ダメメガネ店は、どこの眼科処方でも歓迎します。手間がはぶけますから。 あとで文句が来ても、「眼科へ行ってください」と言えばおしまいです。 だめ眼科のかたには、自院のヘタな処方がこれまでどれだけ多くの眼鏡屋と患者さんに 迷惑をかけてきたかということを想像してもらいたいです。 柳生 質問1はむずかしいですね。もちろんメガネ屋にとってはやりやすいと思います。 責任の所在もハッキリしてお客様にとってもいいことではないでしょうか。 ただその前に、ケアも満足にできない店、眼疾の疑いがあろうがなかろうが売りつけてしまう店、 そのような店がハバをきかせている現状が多くある限り、そのような店からお客様を守る意味でも 眼鏡処方を否とするわけにはいかないような気がします。 なぜこんなにケアも満足にできないような店が繁殖しているのでしょうか。 お客様が気の毒です。 最近は眼科さんにというより、同業者に腹が立つことが多いのです。 「眼科さんが手が回らないので、メガネ屋が『視力測定という名の検査』をするのを是認するようになった。」 初めてこの業界に飛び込んだときにそう聞きました。 そうして、今でもそう思い込んでいます(違うかもしれませんが)もしそうなら、 そのときに先進国である欧米を見習えばよかったのでしょうが、医師が自分たちの既得権益を優先し過ぎたがために 現今のような状況になっているのではないでしょうか。 だとすれば今のようなメチャクチャな業界の流れを作ったのも元をただせば眼科さんということになるのでしょうね。 業界全体のレベルアップはなかなか 岡本 普通の眼鏡の処方技術において、ある眼鏡店と、ある眼科を比較した場合に、どちらが上かということは 一概には言えません。ですから、私の言う方式をとった場合に、ある眼科で検査した患者に対して、 そのデータを元にしてヘタな眼鏡店で処方調製されて、具合がよくなく「あんな眼鏡屋で処方をさせるくらいなら ウチの眼科で処方度数も決めたらよかった」ということも起こり得ます。 それはどのくらいの頻度で起こるかはわかりませんが基礎データを眼鏡屋が見るわけなので、さほど多くないと思うし、 何よりも、処方の責任の一元化というものがなされれるので、もしもそういうふうにして作った眼鏡の具合が悪ければ、 眼科は眼鏡店に対して気軽に「こういう度数にしたらどうだい」と言えるわけです。 また、おっしゃるように眼科処方と関係のない話における眼鏡店の処方レベルの低さという問題もあります。 お気持ちはよくわかりますが、それは「ユーザー本位の眼鏡処方を考える会」の主張とは別の範囲のことなので、 ここでは触れませんが、一つ言っておきますと、眼鏡処方がヘタな店でも、眼科からくる人については基礎データが ついてくるから、その人に対しては、自店処方の人よりもいくぶんましかなと思います。 そして、それでもヘタな処方をして文句が来た場合に「処方箋のとおりに作りました」という言訳はできないわけです。 とにかく、私たちはあくまでも、眼科で眼鏡処方を発行しようかという際のことを問題にしているのです。 眼科で、眼鏡店でもできる眼鏡処方をすることの問題点は要するに、次のことなのです。 1.できた眼鏡の評価(検査)能力が不充分である人が処方するということ。 2.レンズの種類や性能にうとい人が処方するということ。 3.具合が悪くて再処方した場合のレンズ入替え費用を補償しにくい人が処方するということ。 4.見え方がまずい場合の責任の所在があいまいになる(処方が悪いのか調製が悪いのか)ことがあること。 それから同業者のことは我々が簡単にどうできるものでもないし、もしある店でうまくいかないということで、 自店に来られたら、自店では何も困ることはないわけです。 お客さんも、ある店で作った眼鏡がうまくいかなかったらそこの店とかけあえばよいし、それでラチがあかなければ、 その店とおさらばすればよいわけで、それはあくまで2者の関係ですので話は単純であり、 眼科のヘタな処方を持ってこられるのとはまったく違う話です。 業者のことについては、いま日本眼鏡技術者協会が全体のレベルアップに努力していますが、 そんな大きな組織でも簡単にはいかないのです。 ただし、不当な広告に対しては、堀田さんを中心にして眼鏡公正広告協会を作って努力しています。 それで、メチャクチャな業者がいるのは、眼鏡技術者の法制資格化を阻んだ眼科のせいで、 いまだに技術レベルの低い眼鏡屋が多い……ということもまったく言えないということもないかもしれませんが、 技術やモラルの低さを法制化がないことのせいにするなら、眼鏡技術者というよりも眼鏡商人として、 長いものにはまかれろ式で眼科に対して毅然とした姿勢に出られなかったこの業界にも責任はあると思います。 また、業界全体のまとまりの悪さは、我国が自由主義の國であるからということと、業界というのは基本的に業者が 構成しているのであって技術者が構成しているのではないということに原因するとも言えそうです。 それから、欧米先進國の制度をそのまま我国に取り入れてうまくいくとは限りません。 それぞれの國の歴史をふまえた制度が望まれるのです。 アメリカのオプトメトリストの制度がどこの國でもうまくいくとは言えないでしょうし、 それ自体にもいくつか問題点はあります。 その点についてはこれまでに会誌でも述べました。(会誌51号「我国にオプトメトリストは必要か」) 眼鏡店と眼疾患のことについては、「眼鏡屋では、検査の過程で眼疾患のことを推測できることもある (そうであれば、普通の店なら眼科受診を勧める)けれど、それがあってもわからないこともある。 検査器機を完備した眼科でさえ見落としがあるのだから」という常識的なことをユーザーがわきまえていれば 問題ないわけです。 眼鏡屋なら誰でも、眼疾患や脳の病気の見落としに気がつかないまま眼鏡を売ることは起こり得ます。 それを防ぐためには、医師なみの勉強と責任と権利(資格)を持った専門家が必要となってくるのです。 世の中に完璧な制度はありません。いかにマシな制度(法的なものだけでなく慣習的なものもふくめて)にするか ということが問題なのです。 (了) |
[書評] 『めざせ! 眼科検査の達人』を批評する 打敏智 成人の眼鏡処方は10ページ (株)メディカ出版『めざせ!眼科検査の達人』(2002.4.1)を書いた八木 幸子氏は、東京歯科大学市川総合病院眼科に視能訓練士として勤務する、現役のORTである。 本書は、いわば眼科での検査全般に関する入門書である。 本書の中で成人の眼鏡処方について解説している部分は10ページだけである。 ま、さらっと流しているという印象である。そして、その中のところどころにおもし ろい記述があるので、それをご紹介しつつ論評を加える。 (《 》内の文章が原文のままの引用であり、【 】と番号は評者による) 《大学病院や規模の大きな病院では眼鏡店のスタッフが出張してきている場合が多く 「メガネ処方はメガネ屋さんにお任せ」状態のところも少なくありません》 なるほど。著者は正直な人である。おそらく著者の勤務する病院の眼科にもメガネ 屋さんが出張してきているのだろう。 それで、成人の眼鏡処方をほとんど彼らに任せているのであれば、それでもこうい う記事を書ける著者の力量は大したものだ。著者はこう前置きした。 《第8章では眼鏡処方の基礎である、成人の遠用眼鏡の仕方をお教えしたいと思います。》 「お教えしたい」……ですか。普通は「教える」側の人は「教える」とは言わずに 「説明」「解説」「述べる」などと言うけどなあ……。(ま、別にいいけど) 遠視は全員完全矯正? その解説において著者は、次の手順を示した。 《@オートレフラクトメーターで、他覚的屈折検査を 行う。 A瞳孔間距離(PD;pupillary distance)を測定する。 BPDに合致した検眼枠を用いて、自覚的屈折検査を行い、【完全屈折矯正レンズ値】(1)を求める。 C遠視の場合は完全矯正のまま、近視の場合は必要に応じて0.25〜0.50D(ジオプター)減じる。 D両眼開放下での矯正視力(BV)を測る。 E20〜30分以上の装用テストを行う。 F装用テストの結果が良好であれば、処方する。不良の場合は、度数を変えて再テストを行う。》 これを見て私は次のように思った。 ・通常は眼位は測定しないようだ。せめて眼鏡処方の人には斜位検査は必ずやってほしい。 ・【 】(1)の用語は、聞き慣れないものだ。 ・「遠視は完全矯正」と言ってすませているが、それでは安直だ。 遠視眼の大半を占める老人性遠視では、5m検査での完全矯正度数よりも0.25D弱めにしないと 遠方視でのボヤケを訴えられることがけっこうあるのだが、眼科にはその種の苦情は 少ないのだろう。だからこういう割り切りかたができるのだと思う。 ・両眼調節バランステストはまったく実施しなくてよいらしいが、大丈夫かな? 左右の球面度の差はこれでOKなのだろうか。 単眼検査による調節介入が常に両眼に同じだけ入ってくるのだったら、両眼調節バ ランステストは実施しなくとも、Dのときに両眼にプラス付加での視力低下があるこ とを確認しておけばよかろうが、単眼検査で片眼に強く調節介入があった場合には、 これではだめである。 しかも、このDのときに、その確認を行なっているかどうかということも、この記述ではわからない。 だから、「この方法だと、屈折検査を単眼で行なったがために、片眼または左右共 に遠視低矯正または近視過矯正になっていてもそれを発見するすべがないではない か」と言われてもしかたがない。 この「手順」を見ると、著者の頭の中には「単眼屈折検査では、他覚であろうが自 覚であろうが、単眼で測ることによる調節の介入をどうしても防げない場合が往々に してあるのだ」という事実を無視しているようだ。 それでは困るのである。 この辺は「矯正視力を知るのが主目的」という眼科の屈折検査のクセが抜け切れて いないと言えるのかもしれないが、とにかく、眼鏡処方は屈折検査のオマケとして行 なうのではない。そういう意識で眼鏡処方をなされたのでは、患者さんが気の毒である。 眼科での日常の屈折検査と、眼鏡処方のための諸検査は、基本的に目的が違うもの なのだから、手法も細やかさも違ってくるのだというの認識をしっかりと持っていた だきたいと、私は著者に言いたい。 不同視処方に利き目検査を? 不同視の矯正については著者は次のように言う。 《実際に眼鏡処方をする場合は、【2.00D未満の左右差の場合は完全矯正し、】 (2)装用テストを行ないます。 2.00D以上の不同視は、成人の場合装用できないこと多いので、【患者さんの 了承を得た上で】(3)、【優位眼(きき目)に合わせて左右差を少なくし】 (4)、装用テストを行ないます》 そして著者は優位眼の決定法を、いわゆる穴あきカード法で説明する。う〜ん…… 困ったものだ。 まず、【 】(2)がわかりにくい。つまり著者は、装用テストをする場合に左 右差を替えずにやりましょう、と言いたいのか、それとも、それだけではなくてS度 そのものも完全矯正のままでやりましょうと言いたいのか、それがよくわからない。 それから、【 】(3)は何について了承を得るのか、それもわかりにくい。優 位眼の決定法がこの記述のすぐあとに書いてあるので、読者によっては、その決定の ためのテストをすることための了承を得るのかとも思うだろう。 しかし、そうではない。そんなテストはお伺を立てて行なわなければならないほどのものではない。 ここで了承を得る必要があるのは、結果として片方の眼ではハッキリ見えるが片方 ではぼける、ということの了承なのである。 しかし、そんなもの、わざわざこんな書き方をしなくとも、実用できるメガネを処 方するためには、了承……というよりも「説明」をするのは当然なのだ。 【 】(4)も不可解である。もしも不同視で、よりマイナス側の眼がきき眼 だったら、どうするのか。きき眼はほぼ完全矯正して、左右差を少なくするために、 相対的にプラス寄りの方の(近視なら弱い方の)眼を、近視過矯正(遠視低矯正)とするのだろうか。 ここでは「きき眼」なんて持ち出さずに、次のように書けばよいのである。 「弱度側眼、または、プラス寄りの眼を完全矯正かそれに近い状態とし、他眼は適度 に度数を変えて左右の差を2Dよりも少なくします。特に垂直経線上での左右差が重 要です。それが大きいと視線がレンズの上や下を通ったときに上下プリズム誤差が増 えるので見えにくさを感じやすいのです」 乱視についてもヘンなことが その次に「乱視はどこまで矯正すればいいの?」という項があり、そこに次のような一節がある。 《一般的には乱視はマイナスの円柱レンズを用いて矯正した方がよいと言われてい ますが、【私は遠視性乱視に限っては、プラスの円柱レンズを使ったほうが絶対よい と思います】(5)。せめて【装用テストのときだけでも、プラスの円柱レンズでトライしてみて】(6)ください》 【 】(5)は、内容的には常識的でなく、それであるのに断定的な強い調子の 言い切りである。にも関わらず理由は何も述べられていない。何とも、自己満足的で 不可解な記述だと言う他はない。 【 】(6)も分らない。何の意味があるのだろうか。 私が眼鏡学校の学生のときに眼科研修でK医大の眼科へ行った。そこで処方をして いた人の中に、乱視をプラスで処方した場合とマイナスで処方した場合とでは、たと え度数変換すれば同じであっても、できあがるレンズは違うと思っている人がいた。 その人は、外面TCと内面TCのことを連想してそのように誤解していたのかもしれ ないが、そのとき私は「そんなことはありません。まったく同じものができます」と 教えてあげた。 この著者がどういう効果を狙って【 】(6)を書いたのかは不明であるが、こ ういうことを詳しい説明なしに書くこと自体が問題であると言いたい。 また、著者は他書を下敷きにして出典を示さずに斜乱視による網膜像の図とキャプ ションを載せているが、原図では正円ではなく楕円で書いてある。(日本眼鏡技術研 究会雑誌53号のP.83を参照されたし)もちろんこれは正円よりも楕円の方が妥 当であり、これは一種の改悪転載である。出典を示しての完全引用の方がずっとましである。 なお、軸の修整を説明するのなら、度数をそのままで軸を回した場合、乱視度数の 大小に関わらず、何度回すとその何%が残余乱視となるかということを、書いておく 方が親切だと思うのだが、そこまで著者はご存じないので書いておられないのかもしれない。 そこで、著者に代わって私が書いておこう。 -------------------------------------------- 軸の差 5°10°15° 20°25°30° 残余乱視(%) 18 34 53 68 84 100 -------------------------------------------- たとえば、1.00Dの乱視でAx160°であるものを、エイヤッとばかりに1 80°にしてしまうと、何と0.68Dの残余乱視が生じてしまうのであるが、著者 はこういうことをご存じなのであろうか。 患者「さん」に、「〜させる」? 「忘れずに!」という項に、次のような記述がある。 《・患者さんの訴えと、眼鏡処方の目的をもう一度確認し、十分な装用テストを行なう。 ・【よく見える眼鏡と、かけられる眼鏡は違うことを理解させる。】(7)》 竜頭蛇尾とでも言おうか。これは一般向けの本ではなく眼科の人間に読んで貰う本 だから「患者」と書いても別に構わないとは思うし、別の所ではそう書いてあるが が、このように「患者さん」と言うのなら、「理解させる」はいただけない。 「理解してもらう」とすべきである。 患者「さん」という表現よりも「させる」という表現の方に著者の患者に対する姿 勢が現れてしまっている……のかどうかはわからないが、ま、「患者さま」と書いて いなかっただけでもマシ、と言っておこう。 それから、【 】(7)は、内容的にもおかしい。 よく見える眼鏡でしかも 快適に掛けられる例はいくらでもあるわけで、だからこれは「ハッキリ見えても見え 方が不自然だったり眼が疲れたりして実用しにくい眼鏡もあることを理解してもら う」とでもすべきだ。 「よく見える」という言葉は意味がアイマイである。だから、たとえば検眼のとき なら「こちらと、こちらでは、どちらが良く見えますか」という言い方は感心できな い。「どちらがハッキリ見えますか」の方が紛れない。 この項の最後に《できあがった眼鏡が処方どおりに正しく調整されているか確認す る》と書いてある。この著者も大抵の眼科関係者と同様に「調整(アジャスティン グ)」と「調製(メイキング)」の区別がない。 ケッサクな「近見PD測定法」 次の第9章は「近用・遠近両用眼鏡の処方」である。 《40歳前後になると、多くの人は老視の症状を訴えるようになります》 ちょっとちょっと……。「多くの人が」と言うのなら40歳では早過ぎますよ。 5年早いよ〜! ま、遠視の人なら40歳前後でも老視の症状を訴えるだろうけど、近視はもちろん のこと、正視でも40歳では平気ですなあ。この著者は昔の成書を見て「40歳」と 書いたのかもしれないが、現代に生きておられるのなら今の状況を書いてもらわないと……。 この章でケッサクなのは、近見PDに関する記述である。 《【一般的には、遠見状態のPD(pupillary distance;瞳孔間距離)から2mm差し 引いた値を、近見PDとして代用することが多い】(8)ようですが、【本来なら ば、きちんと測定するべきである】(9)ことはいうまでもありません》 【 】(8)は眼科での「一般的」なやりかたを述べているわけで、眼鏡店の場 合とは違うことは改めて述べるまでもない。そして、もちろんであるが、この「2m m差し引く」方法は眼鏡処方箋に記入する値としては間違いである。それに関しては 本誌前号の記事「眼科処方箋に記載の近用PDが遠用PDに比べてあまり狭くない理 由」で詳しく書いたので、ここでは繰り返さないが、とにかく、累進眼鏡の調製など で、近見時に顔を傾ける人などの特殊な例を除いては、遠用PDがあれば、近用PD は実際に測る意義も必要性もないのである。だから【 】(9)も誤りだと言ってよかろう。 そして、こういうことを言いながらも著者は、そのページの下部にわざわざ変な余 白を空けて、大きく《近見PDの出し方》と見出しを掲げて、その下にゴシック体で 《通常、遠見PDから2mm差し引いた値を、近見PDとする》 と、目立つように書いているのである。まったくわけがわからない。 それから、近用眼鏡処方の手順として「遠用度数決定→近見PDを決定→加入度数 決定→近見視力測定→装用テストで度数調整」という説明があるが、ここでの近見P Dを処方箋にそのまま書き込むのではなく、願わくば、視距離に応じた近見PDを書 いていただきたい。そして、プラスならそれよりもやや狭め、マイナスなら、近用眼 鏡でも、遠見PDのままで書いたおいていただくと、さらに具合がよい。ただし、遠 近両用を希望しておられるなら、近用PDは書かない方がよい。実際のところそれは まったく生かされないし、中にはそれに困惑するメガネ屋さんがいないとも限らないから。 しかし、もっともよいのは、眼鏡店でも処方できそうな場合は眼科では処方箋を発 行しないことである。(いつも結論はここに来る) これでは古すぎる この本は、初版発行が2002年の4月であるが、それにしては書いてあることが古すぎる。 累進レンズの概念図も載せてあるが、これは昔の直交軸設計のものだし、中近や近 近系の累進レンズについては著者は何も触れていない。 まだほとんどの眼科の人の頭の中には、中近とは近近とかのことがインプットされ ていないのかもしれない。 そして、遠近累進には各メーカーによって異なった特徴があると言い、《選択の条 件は、主としてどの距離を重視するか》によるとのことで、《実際に処方する場合 は、遠用度数を決定した後、その上から、それぞれの希望に合った累進トライアルレ ンズを重ねて装用テストをします》とし《処方箋には、遠用度数および加入度数、遠 見PD、重視する距離、できれば商品名まで記載した方がよいでしょう》としててある。 これは素直に読むと、いくつかのメーカーの累進のテストレンズを揃えておくべき、 と読める。一つの種類ですべての加入度をそろえておくべきという解釈は苦しいだろう。 では、そんなに累進のテストレンズを何種類もそろえている眼科がどれだけあるの だろう。1種類でもすべての加入度をそろえている眼科の方が少数派であろう。 最近そういう傾向を見てとって、あるメーカーが眼科に自社の累進テストレンズを 無料で(あるいは格安で)渡しているケースがあると聞いた。 メーカーは、眼科の処方箋にそのテストレンズの名前を書いてもらって、その処方 箋を受けたメガネ屋が、「これを使ってメガネを作らないとしかられるかも」と思っ て、それを使う、そういうことを期待しているのだろう。 あるいは、眼科に併設眼鏡店があれば、自然とその眼鏡店ではそのレンズを販売す るようになる……とか、 どちらにして、あまり感心できる話ではない。 もしも、レンズの商品名を書いた処方箋を受けたら、眼科に問い合わせるのがよいと思う。 これはどういう理由でテストレンズの種類が書いてあるのですか。これを使うべ し、ということですか。それとも累進部の長さをおっしゃりたいのですか。後者であ れば、レンズ名など書かずに累進部の長さが何ミリのものでテストしたと書いて戴く 方がわかりやすくていいです、と。 それでもし、そのメーカーのレンズを使いなさいというのであれば、何をか言わんやである。 公益法人である眼科が、もしも私企業の商品を単独で指定するのであれば、十分な 理由が必要である。たまたま自院にそのテストレンズがあって、それで見させたら具 合がよさそうだから……では不十分である。同種のレンズは他からも出ているのだから。 すべての種類のものを試してみて、このメーカーのこの累進部の長さのものが一番 よかったとおっしゃるのであれば、十分な理由があると言えようが、実際そこまでや るのは無理であろうし、その必要もない。 累進部の長さが書いてあれば十分だと思う。 ● (枠に入った)累進レンズの遠用度数の測定法として、著者はレンズ中心から4m m上の遠用部分よりもさらに上方を測定する旨を述べてから、《レンズメーターに眼 鏡をセットするときの微妙な位置加減で度数がかなり違ってきますので、レンズ押さ えレバーを使用せずに、レンズを少しずつ動かしてスキャニングし、妥当な値を遠用 度数とします》と言う。 それで妥当な値、もしくは正しい測定値が出るだろうか? そんなことをするより も、眼科の場合には、どこのメガネ店で作ったかを聞いて、そこへレンズの名前や度 数を問い合わせた方が確かだと思うのだが。眼科からそれを聞かれて答を拒否するメ ガネ店は、まずないだろう。 調節効果の説明が理解困難 眼鏡処方に関する記述の最後に「こんなことに注意!」という項がある。 そこに次のようなことが書いてある。 《【コンタクトレンズ(CL)を装用している場合、近方視のための必要調節量 が、近視眼では眼鏡の場合より多く、遠視眼では逆に少なくなる】(10)ため、C Lに加えて近用眼鏡を装用する場合は、加入度数を考慮する必要がある》……A 【 】(10)は、いわゆる調節効果のことを延べたものだが、そのあとがわかりにくい。 だって、これはCLでほぼ正視に矯正された眼に老視があって、その眼にプラスで 老眼鏡(単焦点または遠近)を与える場合の話のはずである。その場合において、 いったい何と比較して、加入度(老視矯正の度数)が変わることがあると言うのだろ う。裸眼で正視の眼の場合と比較して、加入度が変わると言うのだろうか。(もちろ ん視距離が同じで眼の調節力が同じということでの比較である)しかし、そんなこと があろうはずがない。ではこれはどういう意味なのか……? 調節効果というのは、要するに、中〜強度近視を眼鏡で矯正した目であれば、矯正 していない正視の目に比べて、同じ視距離(中〜近距離)のものを見るのに、やや少 な目の調節量ですむし、逆に遠視を眼鏡で矯正した眼では、余分に調節量を必要とす る……ということを指すのものである。(もっとも、プラスの場合には、「調節逆効 果」と言った方が合うと思うが) そこでこのAの文章に関しては、次のように書くと分りやすくなるのである。 「CLと違って眼鏡ではレンズと眼の間の距離があるので、CL矯正と眼鏡矯正を 比べると、近見に必要となる調節力が若干異なります。CLと比べて眼鏡では、マイ ナスレンズではやや少なめの調節力ですみ、プラスレンズでは逆となります。(ただ し弱度の場合には、その差はごくわずかです) ですからたとえば、中強度近視で遠近両用や近見専用眼鏡で矯正されていた眼をC Lで正視に矯正して、その上から遠近両用(遠用がプラノで近用がプラス)や近見専 用(プラス)で矯正すると、元のマイナスの眼鏡の場合よりも、必要な加入度数は0 .25〜0.50Dほど増えることになります。(近見の視距離も視調節力も同じとする)」 しかし、実際のところ、これが影響するのは近見の場合だけであり、近用眼鏡の度 数を決める場合に、年齢と視距離だけで計算して決めるという人はまずいないはず で、いくつかの度数を試してみて、明視域などが具合のよさそうな度数を選ぶのだか ら、調節効果そのものを知らなくても、別段支障はないとも言える。眼鏡処方技術者 としては、ま、知識として持っていれば、それに越したことはないという程度のものである。 だから、このAの文章の意味を読者が理解できなくとも、別段実害はないと言える が、Aの文章のままだと、なんだか分らないことが書いてあるなあとイライラする読 者もいそうだ。 自分の眼を眼鏡に合わす? 著者は言う、《患者は(評者注:「患者さん」ではない)累進眼鏡は万能だと考え がちである。欠点がいろいろあることを十分説明した上で、ときには【自分の眼のほ うを眼鏡に合わせる】(11)ことも必要であることを理解してもらう》と。 著者の言いたいことはわかる。しかしもし【 】(11)のような言い方をした ら、相手から反発をくらうおそれがある。(著者は人間の心理にうといのだろうか) こういう言い方でなく「レンズの性質を理解して上手に使うことが必要で、そうし なければ不満を多く感じてしまうこともある」とすればよいのである。 著者はまた、《新聞は広げずに折って、見たいところがいつも自分の真正面30c mに来るように指導する》とも言う。 やはり「指導」ですか……。私はこれを忠実に守れる人がいるとも思わないし、遠 近累進でも近見専用でも、こんなことをする必要はない。遠近累進であれば、あごの 上げ下げのことや、新聞はなるべく寝かせて見ること、横目で見ないことなどを助言 すればよいのである。 《(遠近累進で)装用不能の原因が何であるかを確認し、眼鏡そのものに問題がな ければ、1〜2ヶ月は様子を見てもらいます。それでもダメな場合は処方交換を考えます》 1〜2か月も間を置くと、もう苦情を言いにいく気力が失せてくるものだ。(それ をねらっているというわけではないだろうけれど) 私は著者に「それで、再処方の場合のレンズ代金は眼科で負担するのですか。それ とも、そのメガネを作った店に「無料入替」を電話で依頼するのですか。あるいは、 処方箋を渡すときに予め無料入替えをしてくれる店を指定するのですか」と尋ねてみ たい。(2003.4.25) |
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眼科の眼鏡処方箋で、遠近両用を希望の人の場合には 処方箋にはPDの数値を書かないのがベターです。 岡本隆博 眼科が発行する眼鏡処方箋に書いてあるPDは、 累進であろうとバイフォーカルであろうと、 眼鏡使用者が遠近両用眼鏡を希望しておられる場合には、 本来ならば左右別に正確な数値が必要なのですが そういうふうに書いている眼科は少なく たいていは左右合計のPDが書いてあるだけです。 また、仮に左右別に書いてあったとしても、 眼鏡の鼻当ての具合によっては、左右の振り分けが 変わることもあります。 また、遠近両用眼鏡の場合の近用PDが処方箋に書いてあっても、 それもほとんど意味がありません。 遠近両用の場合には、そういうのにとらわれずに、 自店で、使用眼鏡に応じた左右別のPDを正確に計って それに合わせて眼鏡を作るのが 技術重視のマトモな眼鏡店だと言えます。 マトモでない、ヘンに純情な眼鏡店(眼科に対しては非常に忠実)は、 遠近の処方箋に書いてあるPD(遠用または近用) どおりに作る。(自店でPD測定はしない) その場合、単に左右別に半分ずつにふりわける店が 多いようですが、実際には、左右で差がある人の方が 圧倒的に多いわけです。 ところが、そういう店でも眼科発行の遠近両用希望の処方箋に PDが書いていなければ自店で測定処方したときと同様に 遠近なら左右別にPDを採るでしょう。 眼科の遠近処方箋が、マトモでないメガネ屋に行った場合に PDを書いてるのと、書いてないのとでは どちらが、少しでもマシなメガネが出来るか……。 そう考えると、眼科が遠近両用(累進またはバイフォーカル) の処方箋のPDを書くのは、かえって良くないのです。 もう少し具体的に述べますと バイフォーカルの場合には、遠用台玉の光学中心と、 近用小玉の幾何学中心の水平方向での寄せが、 きっちりと2ミリとか2.5ミリで仕上がってくることは マレですから、眼科の処方箋に、 遠用PDも近用PDもきっちり合わせるのは無理なのです。 また、その必要もありません。 眼鏡使用者の見え方を重視すれば 眼鏡を調製する段階では、結局は、遠用PDを無視して 近用小玉を正確に入れるしか外に良い方法がありません。 ということは、バイフォーカル希望の処方箋における遠用PDの 数値は、意味がないことになります。 いや、場合によっては有害だともいえます。 なぜなら、無理にそれに合わそうとして、 小玉の位置の不適切なメガネを 作ってしまう眼鏡店があるかもしれないからです。 累進の場合には、左右別にシッカリと 遠用PDを合わさないといけないのですが、それが眼科の処方箋の 指定の数値に合うのか合わないのかなどと気にしていては 正確なメガネはできません。 また、実際のところ、できあがった累進眼鏡のPDが処方箋の指定の 数値にあっているかどうか検査できる眼科は少ないわけです。 ですから、結局、累進でも、バイフォーカルでも 遠近両用の眼科処方の場合には、PDは眼鏡店に一任、 左右別に正確にPDを測定して調製してください、 としておくのが賢明なのです。 中近や近近眼鏡の場合も同様です。 |
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光学中心とアイポイントの関係について 岡本隆博 最近、ネットの眼鏡関係のホームページで、メガネレンズと光学中心の関係をことさらに強調して、風変わりな器械の宣伝をしているものがありますが、私はあれには疑問を持たずにはおれません。 あんな特殊な器械で測定しなくとも、光学中心とアイポイントの関係が適切にできているかどうかはわかります。また、光学中心とアイポイントの関係が適切であれば、それでもう十分だというわけではなく、レンズと眼の距離(角膜頂点間距離、頂間距離、装用距離などと言われる)やレンズ光軸と頻用視線の角度の関係など、他にも大事なことがいろいろあるのです。 また、自分がいま使っているメガネの光学中心位置の正しさをセルフチェックする方法として、両眼を交互に遮閉して、見えるものが上下に動いたらダメ、という説明がありますが、あれも感心しません。 なぜなら、左右の度数が違えば、光学中心の(正面から見た)高さを遠方を見る視線の位置に合わしていない限り、あの方法では見えるもの上下の動きは多少は生じるのが普通なのです。 メガネの光学中心は、それが遠くも近くも見るメガネであれば、遠くを見る視線の位置には設定せずに、そこよりもやや下に設定するのが普通ですから、そうなると左右の度数が少し違えば、交互遮閉によるセルフチェックは誤解を生むだけのものとなります。そういうことを私があのホームページの作者にアドバイスしても、聞く耳を持っていただけません。 また、あのホームページでは、良いメガネを作るには、まず眼科へ行くことだと言っていますが、それもおかしいのです。なぜなら眼科は眼の病気を診たり治療したりするのが本職なのであって、普通のメガネ(調節まひ剤を使用しなくても処方できるメガネ)の処方は本職ではないからです。 眼科で上手な処方とは言えない眼鏡処方箋をもらって、その通りにメガネ店でメガネを作ってうまくいかないで困っているかたの話はいくらでもあるのです。 眼科は医療機関ですから基本的に結果責任を負うものではなく、加療責任を果たせばそれでいいのです。すなわち、処方をしたこと自体で責任を果たしているのです。 しかし、眼鏡ユーザーはそれでは困ります。眼科処方でうまくいかず、眼鏡店でそれをカバーしたという実例は私が最近書いた『快適眼鏡処方マニュアル』にもいくつか掲載しています。 あのホームページの作者のかたは、そういうことは知っていながら、あんなことを書いておられるのは、すぐ近くの眼科と昵懇だからでしょうか。(あのホームページの作者は私からどんな質問をしても応じられないのです) なお、眼科が特定の眼鏡店を指定することに関しては昔からそのおかしさが指摘されていまして、つい最近も公正取引委員会が日本眼科医会に、特定の眼鏡店を指定するという自由競争を阻害する行為を自粛されたい旨を申し入れしています。 なお、『快適眼鏡処方マニュアル』については、日本眼鏡教育研究所 http://homepage1.nifty.com/EYETOPIA/を見てください。 |
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日本眼科医会に公取委が申し入れ 岡本隆博 眼鏡業界の業界誌、月刊「眼鏡」(2003.1)に下記の記事があった。 《公取委は、眼科医と販売業者の関係が固定的になっている実態があるとして、(社)日本眼科医会に「眼科が発行する処方箋は、競争政策の観点から特定の販売業者向けに限定されることなく発行され、消費者にとって、より利便性が増すよう配慮すること」と要請した。》 この問題は大昔からあることなので、眼科医会としては、ま、聞きおく、という感 じであろう。 そして、特定の眼鏡店を指定している眼科の言い分としては「処方者としては技術 のよい店でメガネを作ってほしい」というわけである。さらに、公式的には語られる ことは少ないが「そこへ行ってくれたら、再処方の場合には助かる」というホンネも あり、それは周知のことである。 そういう気持ちもわかるが、眼鏡店でもできる眼鏡処方を眼科がやめれば、再処方 で困惑するということはなくなるのである。 なぜならそういう方針を取れば、眼科で処方するのは医療としての眼鏡だけに なり、それなら再処方の場合のレンズ代の負担について眼科医師はまったく 気にしなくてよい。 一度処方した薬がきかなくて別の薬を処方しても、その代金の負担を 医師がすることなど常識はずれであるが、医療としての眼鏡もそれと 同じことなのである。 しかし、眼科で処方する眼鏡のうちの大半は、眼鏡店でも測定処方が できるものであり、それは医療ではない。だから具合が悪いとの訴えがきて 再処方の場合のレンズ代のことに医師が気を使わねばならないことになる。 そういう眼鏡処方であれば、初めから眼科で処方はしない方がよいのである。 |
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眼科が指定眼鏡店を持つ理由 武里連 特定の協力関係は必要だと 最近あるかたから私は「あなたは特定の眼科と眼鏡店の協力関係に批判的だが、それは必要なのものだし、調製技術の良い店を指定することにより、確かなメガネを患者さんに掛けて書けてもらおうと医師の気持ちの現れなのですよ」と言われた。私は個々の協力関係は要らないなどと言ったことは一度もない。それがないよりもある方がよいのは当然だ。私は、それだけではダメ、と言っているのであり、その内容がすべていまのままということでは望ましくないと言っているのである。 先に紹介したようなことをおっしゃるかたは、私のこれまでの言説を表面的にしか理解しておられないようなので、今回そのテーマに関して、少し詳しく述べてみる。 指定する理由 眼科で、指定の眼鏡店あるいは懇意にしている眼鏡店を持つところは多い。 その理由はいろいろある。 1.一番低次元なものは、患者が処方箋を持って指定の店に行って メガネを買えば、その眼鏡店からキックバックが入るというもの。 そういう関係であれば、当然、次の2.もあるだろう。 ただ、これで3まで兼ねているところは少ない。 2.キックバックみたいな生臭いものはないが、処方箋で作ったメガネに 苦情がきて再処方になった場合に、指定眼鏡店ならレンズの入れ替えを 無料でやってくれる……他のメガネ屋でも、頼めばやってくれるところも あるが、頼みにくい……というもの。 この2.が一番多いと思う。 3.眼鏡処方が苦手な(面倒、人手が足りない)ので、メガネ屋から技術者に 出向させてやらせている。その場合、眼鏡処方だけでなく、ルーチン検査 としての屈折検査や他の検査も手伝うこともある。 これは開業眼科よりも外来患者の多い病院の眼科に多い。 眼鏡店の人間をタダで使っているのだから、指定することにより、 ギブアンドテイクのバランスを取っている。 4.眼鏡店は、顧客の中に眼科受診すべきだと思われる人がいたら、 その眼科を紹介し、眼科は誰にでも眼鏡処方箋を書いたら、 その眼鏡店を勧める。眼鏡店から眼科へ出向もしないし、 患者紹介以外の何のサービスもしない。 この4の関係は、一見あり得そうであるが、実際にはほとんどないと思う。 なぜならば、これだと眼鏡店の方が受ける利得の方が遙かに勝るので、こういう関係はまず成立しないのである。 上記の2や3の眼科(1ではない眼科)は、特に批判されるようなことをしているとは思っていないだろう。眼科の会計上でも個人的にも不明朗な(表に出せない)金銭の授受はないのだから、とか、こういうことはどこでもやっていることだから、とかいう理由で。 しかし、私は、2や3のことも、医療法人という名の公益法人である眼科としては、決して褒められたものではないと考えるのである。 2や3の方法なら、たしかに眼科と眼鏡店の間で金銭の授受はない。しかし2の場合は、無料で入れ替えるレンズの代金が、実質的なキックバックだということになる。3では、技術者の労働賃金の支払いを省いているのだから、それが実質的なキックバックである。 2や3は、1に比べて眼科側としては何となく後ろめたさは感じなくてすんでいるであろうが、眼鏡店は営利企業なのだから、当然ながら、眼鏡店に何の見返りもないのなら、曜日や時間を決めて眼科へ出向して検査を行ったりする訳がないし、自分に責任のない再処方での入替レンズの代金を無料サービスしたりするハズもない。 これを「持ちつもたれつ」と表現するのは勝手だが、さほど美しい風景ではない。 それで、眼科へ出向するのはメガネ屋としても勉強になるからいいのだという声もある。私はその事実は否定しない。が、それはあくまで副産物であって、それが第一の目的ではないだろう。 もしもそれが本当の目的であれば、もしも「指定眼鏡店は別にあって、そこへ処方箋の患者を回す」と言われても、なお、眼科に勉強のために無償で手伝いに行くというメガネ屋の人間は、まずいないと思う。 眼科へ勉強をしに行く また、眼科へは勉強しに行っている、ただで勉強させてもらうのは気の毒なので、その分、眼鏡処方箋の患者さんに、精一杯サービスし、尽くしている……という理屈もあるかもしれない。それは、眼科と眼鏡店の関係だけを考えればそれでよいのかもしれないが、患者さんにとっては、もしかして医師が勧める眼科とは違う眼科へ行きたかったかもしれないし、あるいは、いくつかの店を見てみてからメガネを作る店を決めたかったかもしれない。 だから、こういう出向をしている場合には、下記の場合にのみ眼鏡店を紹介するということを守るならば、眼鏡技術者の眼科への出向は、好ましいものになると言えると思う。 @ 特殊なメガネで、普通の眼鏡店では調製するのは難しいと思われる場合。 A 患者の方から「どこか良いメガネ店を教えてください」と依頼した場合。 それで、こういう限定をしたとすれば、普通は眼鏡技術者が提供する労力−専門知識や専門技術を要する−と、ときどき受ける経済的なメリットとを比較すると、たいていは眼鏡技術者の方の「持ち出し」になる。 しかし、それでも勉強にもなるし、一部の患者さんにも喜んでもらえるからというボランティア的な精神で眼科に通い続けるというのであれば、それは社会的に褒め讃えられるべきことであると言えよう。(ただし、それはあくまで、上記の2条件を守るという条件がつくのだが) また、眼科側でも、ときには身近に眼鏡技術者がいてメガネのことをアドバイスしてくれたりする方が患者さんのためになるし助かるということもある。 それで、多くの眼科には−特に患者の多い病院の眼科には−たいていの場合何らかの形で眼鏡店が出入りしているものである。それはもちろんわかる。しかし、それはそれとして、原則的に眼科は眼鏡店を指定した処方箋は発行すべきではないと私は思う。 そして、先ほど挙げた@やAの場合には、そこにいるメガネ屋さんを紹介するか、当該メガネ店の名刺(地図入り)を渡すなどすればいいのである。技術がいいから、という理由で、患者から言われなくとも、ある眼鏡店を指定したり推薦したりするというやりかたは私は感心できない。その理由は以下のとおり。 まず、処方箋を発行する以上は、患者から「この店でも測って欲しい」と言われない限り、自ら自店でも測りましょうと申し出る店はまれであろう。 処方箋の通りに作るのであれば、どこのメガネ店で創っても、それを眼科が検査して、特に問題なく作ってあればよいわけだし、おかしいところがあれば、それを改めるように眼鏡店に言えばよいのである。 また、指定でなく推薦なら強制的な感じはしないからいいのでは?という意見もあろうが、医師から「推薦」されれば、たいていの人はムゲに断わりにくいものである。 それ以後もその眼科へ通うという人であれば、その断りにくさは、 より強く感じるはずである。 出来上りの検査が難しい? そして、もし「累進などは、処方どおりに作ってあるかどうか調べにくいので、やはりその店の技術力が分っている店の方が安心だ」という反論があったとしたら、私はこう答えよう。 「メガネは家とは違って壁の中や床下や天井裏に見えない部分があるというものではありません。設計書の通りにできているかどうか、できてから調べる能力がないのなら、そういうかたが設計すること自体が、そもそも間違いなのではありませんか?」 それから、処方箋を持ってメガネ店へ行った人が、自ら「ここでも測って欲しい」と行ったのなら、それはもうその時点で眼科側の黒星なのだ。なぜなら、その眼科が信頼されていないのであるから。そういう場合、その申し出を受け入れたメガネ屋が自店で測定処方して、その結果、どういうメガネができようと、すなわち下記のAになろうとBになろうと、その眼科は、眼鏡店にも患者さんにも文句を言えた筋合ではないのである。 A.やはり眼科の処方箋の通りの度数で作った。 (この場合は、眼鏡店でも測定したこと自体をとやかく言う眼科もあろうが) B.眼鏡店で測定処方した度数の方がよいとのことで、そちらの度数で作った。 (このことを知った眼科は、たいていは良く思わない) なお、もしもその処方箋が、絶対にその通りに作らないといけないものであれば、 そうであることを患者さんにきっちりと説明しておくのが当然である。 また、仮にそういう説明をしなくとも、患者が信頼できる眼鏡処方を眼科がしてい れば、眼鏡店へ処方箋を持って来た人がわざわざ「ここでも測ってほしい」とは言わ ないわけである。 だから、「指定店でないと、処方箋の通りに作ってくれないから、処方箋を変えな い、行儀の良い指定店に行くように勧める」という理由を、もし挙げる眼科があった とすれば、それもおかしいのである。 結局いつもの結論に しかし、眼科と眼鏡店がどういう協力のしかたをしようが、いずれにしても私の結論は同じことになる。 すなわち、いつも同じことを言ってばかりで恐縮だが、眼科へ眼鏡店の人間が出向しようがしまいが、眼鏡店でもこれは処方できるだろうとか、眼鏡店の方が設備などの関係から、より的確な処方ができる可能性があると考えられる処方だとかの判断をした場合には、眼科では処方はしないのがよいのである。そうすれば、その余得はいろいろある。 (1)ユーザーのメリット 眼科の眼鏡処方箋のとおりに作ったメガネでうまくいかないときに、どこが責任を持って対処してくれるのかということをユーザーが悩むということがなくなる。 眼科よりも眼鏡処方が上手な店は多い。眼科よりもヘタな店でも、全矯正度数を知らせてやれば、ひどいメガネは作らないだろう。 眼科が眼鏡処方をやめれば、あとで眼科へメガネの度数に関して苦情が来て困るといったことがないので指定店を強く推す必要がなくなり、ユーザーも眼科に気兼ねせずに好きな店に行くことができる。 また、安売りで粗製濫造の眼鏡店が、自店で調製度数を測定する手間をはぶくために「眼科の眼鏡処方箋歓迎」と打ち出すことがあるが、すべての眼科の眼鏡処方箋の処方度数が快適な視覚をもたらすものであればそれでも良いのだが、現実はそうではない。 また、度数に問題はなくとも、加工やフィティングのまずさ、レンズの種類の不適合などで、見え方に問題が出てくることもある。そうすると、眼科の処方箋でそういう店でメガネを作った場合、ユーザーが見え方で苦情を店に言っても、「そのうち慣れますよ」と言われておしまいとなって、自店での測定で処方をしなおして無料サービスでレンズを入れ替えるなんて良心的で面倒なことはできないのが、眼科処方を歓迎する粗製濫造量販店である。 眼科の眼鏡処方箋は、結果としてそういう店の測定処方の手間を省くのを助けている場合もある。もちろん、眼科にその意図はないし、そういう結果を招くことは眼科としても不本意であろう。そういう、自店での眼鏡処方を省略したがる低レベルの店が、眼科が普通のメガネの処方箋発行をやめることによって、そういう店の商売がやりにくくなるということがあれば、それはユーザーにとってのメリットとなるに相違ない。 (2)眼科のメリット 眼鏡処方を眼科が眼鏡店に委ねることにしてしまえば、眼科はわずらわしい眼鏡処方から解放され、眼科医療の本来の目的である眼疾患の診断や治療に専念することができるようになる。もともと、経済的な利得もほとんどなくて苦情が来たら手間がかかって困惑するだけといった、「不本意な仕事」とも言うべき眼鏡処方から眼科が解放されることは、どんなに気分がスッキリすることであろう。 眼鏡店で測って作ったメガネの度数を選んだのはユーザーと眼鏡技術者であるから、それに関する責任はユーザーと眼鏡技術者の共同責任となる。(自由と責任がカウンターバランスしているわけだ) また、眼科が親しい指定店や、眼科と同じ屋根の下に併設眼鏡店を持っている場合にも、やはり眼科では処方しないのが賢明であり得策なのである。 眼鏡処方は、その眼科の指定店でも併設店でも、他店でも、どこでもいいのだが、とにかく眼鏡店で行なえば、眼科はあとで困ることがなくなる。 実際のところ、眼科処方で作ったメガネで見え方に問題が出た場合、ユーザーは医師がいる眼科へ苦情を言いに行くよりも、眼鏡を作った眼鏡店に相談をし、眼鏡店で内々にレンズ替えなどで対応処理しているケースの方がずっと多いものだ。そういうことで眼科まで来る人のほとんどは、メガネ店へ相談を掛けても「ウチは処方箋通り作っただけです」と言われて、しかたなしに眼科へ来るというわけである。 眼科が眼鏡処方をしなければ、そういうことで眼鏡店に迷惑をかけることもなくなる。 眼鏡店で、現在眼科にはかかっていないお客さんに眼鏡処方のための視力検査をしているとしよう。そして、相当の年輩の人で仮に矯正視力が0.8までしか出ないものとする。そして特に眼が痛いとかモノが歪んで見えるというような自覚症状はないとする。 そして、普通に測った近用眼鏡で装用テストを行なったら、それでよく見えるという答が返ってきたとしよう。そうすると、その場合に、眼科での検査や治療が必要な眼かどうか、眼科受診を薦めるべきかどうか、というのは、微妙な判断になってくる。 その店が例えば眼科の併設眼鏡店であったり、自店を指定してくれる眼科を持つ店であれば、その眼科への受診をすすめるわけだが、そういう眼科を持たない眼鏡店であれば、次のような理由で、眼鏡調製販売を延期しての眼科受診を薦めたくなくなることがある。 1.眼科へ言ったお客さんがそこの眼科で処方箋を書かれて指定の眼鏡店 に行ってしまわれるかもしれないという心配が頭をかすめる。 2.眼科で眼鏡処方箋を発行されて、その度数がいまひとつであったり、 近用PDが望ましくないものだったりすると困るなあと思う。 3.眼科発行の処方箋の度数やPDに特に問題はなくとも、自店で決めかけた、 眼科処方箋よりもより好ましいデータでの眼鏡処方がしにくくなる、と思う。 それゆえ、メガネを作らずに眼科へ行ってもらった場合に、眼科が眼鏡処方を しない(当然、眼科の方からは指定店の紹介をしない)のであれば、 眼鏡店としては、「どこでもいいですから眼科へ行って診てもらわれたら いかがでしょう」と言いやすくなる。 これは眼科のメリットでもあることは間違いないし、それで治療の必要な疾患が見つかれば、ユーザーにとってのメリットにもなる。眼科が眼鏡処方箋を発行しなくなると、そのまわりの眼鏡店(しかも技術に自信がある店)からの患者さんの紹介が増えるということがあり得るのではないだろうか。 (3) 眼鏡店のメリット 眼科処方箋持参のお客さんは助かる、自店で測定する手間が省ける、見え方で苦情が来ても「眼科で相談して下さい」と言えばそれで終わりだし……などという安直な考えの眼鏡店(安売り店とか、ファッション先行の店にときどき見られる)にとっては、眼科が眼鏡処方をやめても、メリットは何もない。それどころか手間が増え、責任回避ができなくなる分、デメリットだけが増える。 逆に、自店で測定して快適な見え方のメガネをユーザーに提供したいと思っている眼鏡店にとっては、眼科が眼鏡処方をしなくなれば、眼科処方箋を持ち込んだユーザーから「これは参考としてここでもう一度測って下さい」と言われて困惑することもないし、自分(自店)が決めた度数ではないメガネでの見え方の苦情を受けて困惑するということもなくなるので、眼科が普通のメガネの処方を眼鏡店に委ねるという措置は「歓迎」以外の何者でもない。 いまの眼科処方による眼鏡調製は、その結果に関して、もし眼科にも眼鏡店にも責任があるのだとすると、両社の共同責任だということになるが、往々にして「共同責任は無責任」となる。そうなると、立場上弱い方が貧乏くじを引くことになる。 また、眼科から指定を受けている眼鏡店でもその辺の事情は同様である。そういう店の場合、指定をもらっている眼科とはうまくやれようが、それ以外の眼鏡処方箋が持ちこまれれば、さきのケースと同様の「困ったこと」が起りかねない。しかし、眼科が眼鏡処方をやめれば、そういうことで困惑することはなくなる。 あるいは、眼科へ検眼の手伝いで出向いている眼鏡店でも同じことだ。特にそういう場合は、他店で購入されることが明かなメガネでも眼鏡処方をしなければならないこともあろうが、そんなメガネは、うまい処方をしても自店の売り上げに結びつかないし、ヘタして見え方に苦情が来たら、購入した店にレンズ換えを依頼しなくてはいけない……もしそこがレンズ無料交換を拒否すれば自分が弁償しなければいけないかも、ということで、気が乗らないわけである。 そういうときの処方度は「A.初めはなじみにくいかもしれないけれど、しばらく辛抱すればこれが絶対によくなります。あなたにはこれがいいです」と薦めたい度数よりも、「B.とにかく初めから文句が来ない無難な度数」になりがちである。眼科で処方する場合、自店へ来るのが確定している患者さんにならAの処方もできる。もしだめなら自店の負担でレンズ換えをできるから。しかし、他店へ行く人にはAの処方はしにくくなる。 そういう場合、眼科では処方箋は発行しない、という方針に替えれば、その出向技術者(屈折検査や眼鏡処方担当者)もたいへんやりやすくなる。 眼科に出向している眼鏡技術者は、眼鏡を必要とする人、眼鏡を希望する人には「眼の度数や最高視力は、いま検査しました。ここまでは医療行為です。それで快適なメガネの度数を選ぶのは医療行為ではありませんから、 どこかのメガネ屋さんでやってもらってください。もし、技術のよい店を紹介してほしいとおっしゃれば紹介します」と言えばよい。「はあ、では技術のよい店を紹介してください」「では私の居る店へどうぞ。店で私が精密に測定してあげましょう」……ということにすればいいのである。 それからまた、眼鏡店が、特に、指定のある眼鏡処方箋で指定店以外の店が眼鏡を作ってそれを眼科で検査された場合に、別に何にも問題がないのに「PDが1ミリ違っています」「乱視軸が少し違います」というような的はずれな評価をされるという心配もなくなる。 私が主張する「眼鏡店でもできそうな眼鏡処方は眼科ではしない」という方式は、益多くして害なしとでも言えそうな、良い方式だと思うのである。 この反論が来るが 以上の主張に対してよくある反論は「眼鏡店にもレベルの低い店があるから、眼鏡店に処方を委ねるなどということはできない」というものである。そういう心配があるならば、 @全矯正値を参考に書いたものを渡す。 A眼鏡店で諸方調製した結果を眼科に報告してもらいたい旨を 「眼鏡調製指示書」に書いておく。 この方法をとればいいのである。 @だけにするかAも加えるかは、各眼科の判断でよい。低レベルの眼鏡店ほど@もAもいやがるだろう。中にはそんな指示書を持参の人は怖いということで断わる店も出てくるかもしれない。そうでなくてハイレベルの眼鏡店なら、眼科に自店の処方技術の良さをアピールできる良い機会だとばかりにはりきるだろう。 その報告書を見た眼科は「これはひどい眼鏡店だ。次に眼鏡調製指示書を発行したときには、ここだけは行かない方がよい、と患者さんに言ってあげよう」とか「あ、ここはハイレベルのメガネ屋だ。次からここを推薦しよう」とか思う場合もあろう。 とにかく、いまの眼科の眼鏡処方箋は、低レベルの眼鏡店を助けることは確実で、ハイレベルの眼鏡店を困らせたりくさらせたりすることになるケースも少なくないわけで、そういう状況が望ましいものではないことはあきらかである。 眼科が「眼鏡処方箋」ではなく「眼鏡調製指示書」を発行し、報告を求めておいて、あとで患者にそのメガネを持ってきてもらって、どこのメガネ店で作ったかを尋ねて、そこから何の報告もないということであれば、そういう不届きなメガネ屋には警告を与えるのもいいだろう。 眼科に対して自店で測って作ったメガネの説明ができないというのは、よほどオソマツな店に相違ないのであるから。 (了) |